昭和三十年代 1

映画「三丁目の夕日」などで

話題になったように、

昭和三十年代は

よき時代であったそうである。

今の格差社会が

ひどすぎるので、

「昔はよかった」式の

回想へとつながるのだろう。

今、部屋を片付け始めたのだが、

昔の本が出てくると、

思わず読んでしまう。

いつも、掃除をすると

そうなるのだが、

今回は

山口瞳さんの

「江分利満氏の華麗な生活」

を見つけた。

Imgp6382

読んでいると、

こんな文があった。

「乱世であった。しかし、いまになって

みると、あの時代は一種のユートピアでは

なかったかとさえ思えるのである。みんな

平等だった。」

これは、昭和38年、36歳の

江分利満氏が、

十五年前、

つまり昭和二十年代を

回想している部分である。

よき時代と(我々が思っている)

昭和三十年代に、

江分利満氏は

こう考えている。

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昭和三十年代 2

昭和三十年代の話の続きである。

江分利満氏は、

昭和二十年代は

もっと平等だったと

考えている。

とすると、

昭和二十年から

昭和三十年代に

格差が広がり、

平成になると、

さらにその格差が

ひどくなったということだろうか。

戦後すぐは焼け野原で

たしかに平等だったかもしれない。

みんなが何も持っていない

という意味で。

(もっとも、農家は食糧を

持っていた、なんてことは

あるかもしれないが。)

 そこで、また思い出したが、

二宮尊徳の言葉だ。

Imgp6384_1 

二宮先生語録(下)から。

「十戸の小さな部落でも、その

生計を均等にするのはむずかしい。

たといその田畑・屋敷・家財を

集めて均分しても、数年たたぬ

うちに貧富が分かれる。これは、

人によって強弱勤惰があり、

家によって積善と不積善とが

あるからだ。たとえば草原の

ようなもので、草を刈って

平らにしても、数日たたぬ

うちに長い所と短い所とに

分かれる」

平等のほうがよい、と

思うが、現実は難しい。

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平等

平等でないよりは

平等のほうがよい。

ただ、実現は難しい。

政治的平等は一応

実現されたと考えたい。

士農工商といった

身分制度はなくなった。

政治的平等の次は

経済的平等と

いうことになるのだろうが、

旧ソ連などでの

ある種の壮大な実験を

見ると、その困難さがわかる。

また、うまくいったとしても、

次の問題が待ち構えている。

つまり、

政治的平等が実現し、

経済的平等が実現したら、

今度は、

容貌やスタイルでの

上下格差が

いっそう激しくなるのではないか、

と思われる。

たしか中野翠さんが

そんなことを書いていた

(と思う)。

また、さらに考えると、

経済的平等が

実現されて

給料が同額となると、

よく働く人と

働かない人の

労働量が

不平等ではないかと

いう問題が生ずる。

ジンギスカンが、

働きに応じて

報酬を与え、

かえってそれが

平等の分け前と

部下たちは考えた

という話を聞いたことがある。

それ以前は、

単純平等だったので、

不満を持つものも

いたのでしょうな。

(これも、井上靖さんの

蒼き狼

だったと思う)。

実に平等を

実現するのは難しい。

それなら、

いっそのこと、

そもそも格差が

あってもそれを

気にしないほうがよい

という考えも成り立つ。

これも、

ビートたけしさんとか

他の人も書いていた

と思うが、

「あの家とうちとは

身分が違うんだから」

と最初から考えていれば、

嫉妬とかやっかみとかは

生じにくい。

そもそも違う世界の人と

認識していれば

比較しないから

平等でないことへの

怒りなどもないわけだ。

なまじ

平等な人間と

思うと

腹が立つわけだ。

とすると、

ケネディ家の家訓

「世の中は平等だと思うな」

は正しいのか?

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自我

前回は

引用だらけ、

しかも、

かなりあやふやな

引用で

すみません。

しかし、

こうして書いていると、

自分の考えというのも、

どこまで

自分のものか

はっきりしない。

これまた、

どなたかが

おっしゃっていたはずですが、

自分というのは

自分がこれまで

読んできた本の

総体である。

(誰の引用かも

忘れたぐらいで、

言葉もうろおぼえです。

すみません。)

でも、結局、

自我って

その程度のものだと

思う。

オリジナルと言っても、

純粋なオリジナルって

ほとんど存在しない。

これまた

誰かの引用だけど、

ビートルズは

独創的だったけど、

それも、

ケルト音楽の影響とか、

R&BやらR&Rとかが

混ざり合って出来上がったもの

と聞いた。

もちろん、それこそが

彼等の

独創性であって、

彼等の

価値が減ずるなんて

ことはまったくないのだけど。

いろいろな

学説だって、

前時代の学者の説を

応用発展させるか、

あるいは批判的に吸収して

発展させたものだと思う。

ということで、

この自我も、

本来存在せず、

いろいろな要素が

偶然に絡み合って

生じたものにすぎない。

仏教用語を使うと

楽なので、

使わせてもらうと、

これは

「縁」の一語で

あらわすことが

できるんだろうな。

縁によって生じた

一時だけの存在、

それが「自我」

なんだから、

「本当の僕って何?」

なんて悩む必要も

ないんだよね(たぶん)。

そうそう、

三田誠広さんの

僕って何

は学生運動の話だったけど、

三田さんは

仏教関係のものも

ずいぶん書いておられるよね。

それから、随筆で読んだんだけど、

高校生のときに

家に閉じこもって

おられる時期があって

(当時はまだ

「ひきこもり」って言葉は

なかっただろうね)、

その時

ブッダのことば―スッタニパータ

の中の言葉、

「犀の角のように

ただ独り歩め」に

感銘を受けたそうな。

その部分を読んで

驚いたのは、

かくいう私も

二年ほど

世の中から

逃避していた時期があって

(実は今でも、

時々逃避する)、

その時の支えが

同じ言葉だったからだ。

世の中は、

いつの時代でも、

ゆがんでいる

(と思う)。

というか、ゆがまなければ

ならない部分もあることは、

前回の「平等」で

考えてきたことだ。

だから、

そういうことで

悩んでいたり、

家に閉じこもって

いたりしても、

絶望することはない。

そもそも、

絶望する「自分」が

単にさまざまな要素、

「縁」によって生じた

一時のものなのだから。

光の中に

色は様々あるのだけど、

たまたま、

ある色を吸収し、

ある色を反射させて、

それが眼に届いて

どれかの色に見える。

(たとえが

外れていたら、

すみません。

写真随想なんで、

この写真を入れた

かっただけなんです。

このところきちんとした

写真を入れていないもので。)

1996241

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スティーブ・マッカリー

ここ数年

スティーブ・マッカリー

(Steve McCurry)の

写真が

気に入っている。

ポートレイト

聖域 スティーブ・マッカリーアンコールの寺院

ポートレイトも

よいのだが、

スナップなどの

ほうが好みだ。

同種のものが

反復され、

リズムを

生み出している。

彼のすべての写真が

そうだとは言わない。

でも、そのリズムのある

構図に学ぶことが多い。

先日、気がついたのだが、

アンリ・カルティエ=ブレッソンの

構図とも相通ずるものがあるように思われる。

でも、実は、

アンリ・カルティエ=ブレッソンの

構図については、

楠本亜紀さんの

「逃げ去るイメージ」他で

読んでいたのだけど、

あまりよくわからなかった。

後付けの説明じゃないの、

などと感じないわけでも

なかった。

だって、その一瞬で

そんな構図まで

計算できる?

そんな風に思っていた。

ところが、

スティーブ・マッカリー

の写真を見たら

アンリ・カルティエ=ブレッソンの

構図もわかった

(少なくともそんな

気持ちになれた、って

ところですか)。

二人ともマグナム所属だし、

共通点はあって当然だろうけど。

もちろん、

モノクロとカラーの

違い等もあって

まったく同じというわけじゃない。

人間の頭脳は

やはり素晴らしいものなのだろう。

瞬時のうちに

計算して

美の構図を

選り抜いて

いるんだと思う。

ただ、それも

可能性の問題で

たくさん撮るということは

必要なのだろう。

でも、やみくもに

撮ればよいと

いうわけでもない。

そこが

難しいところだが、

たくさん撮って

どういう時に

よい構図になるか

身体に

しみこませる

ことも必要なのか。

「勘ピューター」は

「コンピューター」に

勝るとは

昔から

(どれくらい昔だ?)

言われている

と思う。

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ベトナム戦争の写真1

前回は

スティーブ・マッカリー

の写真を見ていたら

アンリ・カルティエ=ブレッソンの

写真に対しての見方が

変化したという

お話でした。

今日は

時間の経過で

一枚の写真の

見方が変化した

というお話です。

その一枚というのは

石川文洋さんの

写真です。

(マッカリーや

ブレッソンには

「さん」という敬称を

つけませんでしたが、

他意はありません。

マッカリー「さん」と

いうのも不自然な気が

しただけですね。)

ばらばらになった

肉体、

その上半身だけになった

ベトナム人の身体を

アメリカ兵が

持ち上げている。

上半身と

言いましたが、

実際には、

頭と胸だけ。

それを持ち上げる

アメリカ兵の表情が

ひどく冷淡なものに

見えたのです。

アメリカの

残酷さが

象徴されている

写真と感じました。

初めて見た時には

ベトナム戦争は

とうに終わっていましたが、

ソンミ(ミライ)の

虐殺の記憶などもあって、

そう感じたのかもしれません。

また、雑誌で見たので、

小さな、しかも

あまり鮮明でない

写真だったようにも

思います。

ただ、

最近になって

久しぶりに

再び見る機会が

ありました。

戦争の残忍さを

伝えるということは

変わらず感じたのですが、

アメリカ兵の表情が

やや変わった印象を

受けました。

もちろん写真が

変わったのではなく、

私のほうの

見方が

変わったのでしょう。

今回見た

印象では、

アメリカ兵は

「人間は

最期において

こんなになってしまうのか」

ということに

困惑しているようにも

思えたのです。

もちろん

兵士ですから

戦場で感情は

抑制しているのだと

思いますが、

前回の時は

それを

「冷酷」と

感じたのかもしれません。

今回は

その奥にある

兵士のとまどいの

ようなものを

感じました。

本当に

冷酷な兵士なら、

死体を放っておくか、

死体を

蹴飛ばすようなことも

あるかもしれません。

好意的に

考えれば

その兵士は

死者に対して

ある種の

弔いをしている

ようにも思える。

(あくまで好意的に

考えて、ですが)

ばらばらになった

肉体を集める

ことによって、

死者に対して

敬意を表している

ようにも思える。

死体を縫合したり、

死化粧をするのと

同様の行為とも

とれる。

そう言えば、

これまた最近なのですが、

やや古い雑誌で

石川文洋さんが

こんな発言を

されているのを

見つけました。

(窓社「Photo Pre No.8」

1994年発行)

「実は、あの写真は最近

開いた写真展でも出して

いないんです。たとえば

東京都写真美術館の

写真展でも、あの

写真は出展していません。

あの写真の兵士は、

死体を持ってきただけで、

彼が殺したわけでは

ないんですよ。だからあの

写真は彼にちょっと

気の毒だなと私は

思っているんです。

あの写真で

彼はずいぶん

苦しんだだろうと。」

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ベトナム戦争の写真2

もう一枚、

ベトナム戦争の

写真について。

当時の

南ベトナムの警察長官が

路上で

捕らえられた

青年ゲリラの頭を

いきなり

拳銃で撃ち抜く

というショッキングな

写真です。

撮影したのは

エディ・アダムスで、

この写真で

ピュリツァー賞を

授賞しました。

写真の持つ力を

思い知らせてくれた

ということで、

当然それだけの

価値のある

ものですね。

この写真も

最初にみた時に

感じたのは

嫌悪感とか

怒りという

ものだったと

思います。

問答無用で

いきなり

頭を撃ち抜く

という印象でしたからね。

しかし、

その後になって

警察長官の

側近の家族が、

直前に殺されていた

などということが

わかってきました。

知り合いの家族が

殺されたということで、

政治体制上の

争いというよりも、

個人的感情の

爆発という要素も

強かったようです。

昔風に言えば、

一種の敵討ち

でしょうか。

もちろん、だからと言って、

警察長官の行為が

ゆるされると

いうことでもないのですが。

ただ、

極悪非情の

権力者という印象から

仲間の家族を

殺された悲しみに

満ちた男という

イメージも

浮かんでくる

ようになったわけです。

怪物が

人間に見えてきた

ということですね。

とえらそうに

書いてきましたが、

これは有名な話なので、

御存じの方も多いはずですね。

エディ・アダムスは

2004年に亡くなって

いますが、

この写真に

関して、

晩年は

元警察長官に

同情的だった

ようです。

石川文洋さんと

同様の

感想を

持たれていたようです。

一枚の写真が、

大きな影響を

与えてしまう。

特に

撮られた本人に

大きな影響を

与えてしまう。

そのことを

考えなければ

いけないのでしょうね。

ちなみに、

元警察長官は

1998年に

アメリカで亡くなっています。

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写真だけではない

スティーブ・マッカリー

の写真を見ていたら

アンリ・カルティエ=ブレッソンの

写真に対しての見方が

変化したという話から

始まっていますが、

写真だけでは

ないように思います。

以前、

ラジニーシの書を

手にしました。

何を言っているのか

さっぱりわからず、

お手上げ状態でした。

そのことを知人に

話したら、

彼は、

「俺にもわからないが、

似たようなことが書いてある

本を知っている」

と言って、

クリシュナムルティの本を

貸してくれました。

実際には、

その本を読んで

さらに

わからなくなったのですが、

著者の紹介

部分で

ニーチェや

ドストエフスキーを

読んでいた

という部分があったので、

ツァラトゥストラ

を再読してみました。

昔読んだときは、

これもまた

よくわからない本だったのですが、

ラジニーシ、クリシュナムルティと

わからないままに経てきた後では、

すっきりと

頭の中に入ってきました。

ドストエフスキーの

悪霊 (上巻)

なども同じですね。

以前よりも、

作者の言いたいことが

直に伝わってくる

ような気がしました。

結局、

妙な感じではありますが、

今でも、

ラジニーシ、クリシュナムルティは

わかったとは言えませんが

(彼らをわかったということは

つまり

「悟った」

ということでしょうから)、

彼らのおかげで

ニーチェや

ドストエフスキーは

すとんと

腹のうちに

おさまった

ような気がします。

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写真と動画

写真の話に戻ります。

最近になって

やっと

デジタルカメラに

触れるように

なりましたが、

デジタルカメラには

動画の機能が

ついているものが

ありますね。

時々

悪戯してみるのですが、

やはり、

写真と動画は

違うものだと

思います。

大きな違いは

使い古された

表現ですが、

写真は

「一瞬を切り取る」

というところですよね。

動画は動画の

よさがあります。

たぶん

情報量が

多いという

ことでしょうね。

文字情報だけよりは

写真、

写真よりは動画、

実用面、情報面では

写真は動画にかなわない。

でも、やはり

写真には写真の

よさがある。

たとえば、

アンリ・カルティエ=ブレッソンの

「サン=ラザール駅裏」、

もし、動画だったら

どうでしょう?

男が

走ってきて

ポチャッと

水しぶきがあがる。

でも、それだけで

終わってしまうのでしょうね。

写真だと、

この後の

展開がどうなるかなどと

いやでも

考えてしまいますね。

つまり、

含みがある。

芭蕉の

「いいおおせて

何かある」

を思い出します。

                                                    

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写真と俳句1

写真と俳句は

類似点が多いと

よく言われます。

たしかに、

「写真は引き算」

ですが、

俳句も

余計なものを

削り取り、

十七文字に

結晶させます。

俳句は

短詩型文学、

写真も一瞬、

両方とも、

情報量は

限られているので、

余韻を残す、

そこから夢が広がる、

そういったものが

求められる

ということでしょうかね。

もちろん、かつては

写真は情報の王様で、

文字通り

報道の最前線に

あったわけですが、

それは

時代の流れで

動画に

とってかわられた。

そうなると、写真の

進む道は

俳句のような

芸術の道と

なるような

気がします。

もっとも、

まだ

雑誌などの

紙媒体が

存続していけば、

写真の報道性は

まだ重要と

なりますが。

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写真と俳句2

俳句を

写真化する

ということも

よくおこなわれて

いると思いますが、

写真化しやすい俳句と

そうでない俳句と

あるような

気がします。

「古池や

かわず飛び込む

水の音」

音の描写だったり、

心理描写ですから

写真化しにくいような

気がします。

(どなたか写真化

した方がいらっしゃたら

お教えください。ご教授

お願したいと思います。)

一方、

与謝蕪村だと、

情景描写の

句なども多いので、

「菜の花や

月は東に

日は西に」

ロケーションが

難しいけれど、

菜の花畑で

夕刻を狙えば

よいわけですよね。

芭蕉だって

情景描写は

あるけれど、

「荒海や

佐渡に横たふ

天の川」

荒海と

佐渡と

天の川の

三つがそろうところは

何処でしょうか。

これも、

情景描写というより、

実際に見ていたのは

荒海と佐渡だけ

だったかもしれない。

天の川は数日前に

別なところで

見たのかもしれない。

もっと言えば、

本当に見ていたのは

荒海だけ

かもしれない。

この荒海の

向こうに

佐渡が

横たわって

いるのだな

と心で見た

のかもしれない。

などと

俳句を写真の

観点から

見てみると

おもしろいですね。

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動く物と静物

動画と写真と

いうところから

俳句と写真へと

話が発展

(逸れただけ?)

しましたが、

考えてみると、

写真は一瞬を

とらえると

言っても、

動いているものを

撮る場合、

それから

もともと

動いていないものを

撮る場合が

あると思います。

勝手な私の

思い込みで

申しますと、

木村伊兵衛さんは

動いているものの

一瞬をとらえる

名人という気がします。

いろいろなものが

複雑に動いていくが、

それらが

調和した

ある一点を

直観的に

とらえて

撮影していく、

ということでしょうか。

アンリ・カルティエ=ブレッソンの

「サン=ラザール駅裏」と

通ずるところですよね。

一方、

土門拳さんは

仏像を

つまり

静物を撮った。

ところが、

土門さんは、

静物のはずなのに、

仏像が

走り出す、

もしくは

動くと

表現されたそうですね。

静物だから

動かないと思うけれど、

そこに

何かを

見出して

おられたのでしょうね。

仏像が

動きだすまで

待つ

土門拳さんと

動くものを一瞬に

とどめる

伊兵衛さん、

もちろん、

土門さんも

動きをとめる

写真もありますが、

考えてみると

おもしろい点で

あると思います。

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再び昭和三十年代について

そもそも、

この「思いつく事など」は

昭和三十年代ブームと

いうところから

話を始めました。

考えてみると、

写真、カメラも

その頃から

昭和四十年代が

もっとも

盛り上がった

のではないでしょう。

もちろん

昭和二十年代も

土門拳さんの

月例審査などで

燃えあがって

いたのでしょうが。

ただ、

庶民の手に届く

値段のカメラ

というと、

テレビや

自動車と

同じように

昭和三十年代と

いう印象です。

カメラ、写真に

おいても、

昭和三十年代は

輝ける時代

(の始まり?)

だったのでは

ないでしょうか。

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続続昭和三十年代

しかし、

「昭和三十年代 1」で

触れたように、

江分利満氏は、

昭和三十年代において、

昭和二十年代を

懐かしがっている。

それから、

私も考えてみると、

西岸良平さんの

夕焼けの詩―三丁目の夕日 (1)

の中で一番好きなのは

朝田一郎、さくら兄妹の

話だ。

マージャンのプロ、

破滅型の博打打ちの一郎、

白血病になってしまう

さくら、

これは

昭和三十年代というより

昭和二十年代の

雰囲気が

濃厚ですね。

(九巻だったかな?)

四十巻とか五十巻になると

話が明るくなって、

なんか

炭酸抜きの

コーラみたいな

気がしてしまいます。

(茶川さんもそれなりに

売れっ子になって

いきますしね。)

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続続続昭和三十年代

昭和二十年代というと、

いったん

戦前の体制が崩れ、

めちゃくちゃなところも

あったんだろうけど、

ある意味では

みんなが

同じスタートラインに

立った、

つまり

みんな

平等だった

ということだろうか。

もっとも、

戦後の混乱期に

富を

築いた

人もいるので、

一概には

言えないのかも。

しかし、

終戦の

ある一点で

みんなが

持っていたものを

失って、

ある意味で

本来の

正常な感覚を

取り戻したのかも

しれない。

ある人は

財産を失い、

ある人は思想、

ある人は家族

ある人は

また別なものを

失った。

喪失感は

ある意味で

人を

正常に戻すもの

だと思う。

だが、それは、

一瞬にすぎず、

すぐまた

守るものが

できてしまい、

それを

守るために

格差が

固定した

社会がつくられた

のではないだろうか。

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続続続続昭和三十年代

「昭和三十年代」と

いうタイトルのはずなのに、

「昭和二十年代」の

話になっていますね。

それから、

写真随想なのに、

ここのところ

写真の話から

離れています。

もう少ししたら

写真中心の

ブログに戻す

つもりです。

それで、

昭和二十年代が

旧体制が崩れた時代、

一瞬だが、

人々の意識が、

まともになった瞬間が

あったのではないかと

かなり強引に

書いてきたのですが、

以前「常懐悲感」と

いうカテゴリーでも

述べたことですが、

そういうショックが

起きた時、

ひとは

覚醒するのでは

ないかと思います。

(昭和二十年代に

覚醒剤が流行ったそうですが、

もちろん

そういうことを

言っているのでは

ありません。)

そうすると、

バブル崩壊も

旧体制が

一部崩れ

覚醒のチャンス

だったのですが、

残念ながら

そうはならなかった

ようですね。

考えてみると、

単に

経済的な

ショックであれば、

1920年代末の

世界大恐慌があり、

この時も

旧体制の

一部は崩れたのですが、

新しく出てきたものは

ヒットラーなどの

怪物でした。

考えてみると、

バブル崩壊も

そうですが、

みんなが失うわけではない。

バブル崩壊で

儲けた人もいれば、

(株で空売りした人?)

公務員のように

相対的に

豊かに

なってしまったと

いう人たちも

いるわけです。

それで、

むしろ

格差が広がった

というわけですが、

経済的ショックでは

覚醒しないということ

でしょうか。

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続続続続続昭和三十年代

経済的変動では

かえって

格差が

広がり、

人々は

覚醒しないと

書きましたが、

かと言って、

ハルマゲドン

なんていうのも

困りますね。

(そう言えば、

1999年の

ノストラダムスの

大予言は

どうなったのだろう?)

結局、

ぶつぶつ

不満を

言いながらも

現状を

受け入れる

しかないのでしょうね。

考えてみると、

仏教もストア派哲学も

現実の受容が

重要と

説いています。

もちろん、

変革できる

ところは

変革しなければ

いけないのですが。

小泉首相に

私は批判的でしたが、

(今も変わっていませんが)

彼は、

できることは

やったということでは

評価してよいのかも

しれません。

もっとも、

官僚の本丸には

手をつけず、

私怨とも

思われる

郵政の改革に

不必要とも

思われる

エネルギーを

注ぎこんだ、

しかも、

国民まで

巻き込んで、

そのため

他の改革は

なおざりにされた

という感は

否めず、

ということで

結局また

批判しているのですが、

小泉改革は

終わったという

ことで

現実を

受容したいと

思います。

昭和三十年代の

話から

だいぶ離れた話と

なりましたが、

昭和三十年代から

現代を見ると

こうなるということで、

強引に

このシリーズの

話は終わりたいと

思います。

次回からは、

「写真随想」の

本来のかたちに

戻して、

写真中心のブログに

帰りたいと

思います。

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