荒川漂流(REQUIEM FOR SOME)1
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
また別な声が聞こえてきました。
今度はハンドルと荷台でした。
どうして僕たちは
見捨てられたのだろう
どうして僕たちは
見捨てられなくてはならないのだろう。
ペダルの奴のように
狂気に歓喜できたら
どんなに楽だろう。
そうだな
いつか俺にくくりつけられていた
古本の話のようだ。
狂気の虎になれたら
完全に虎になれたら
どんなにか幸福だろう。
名前は李徴といったかな。
子どもは
昨日聞いた話を思い出しました。
戦争の話です。
ガダルカナルやミャンマーで
ハンドルと荷台と
同じことをつぶやきながら
多くの若者が
消えていったのです。
__________________________________________________________________________________________________________________
李徴の話は
にて。
個人的には「悟浄出世」とか「悟浄歎異」が好きだな。
でも、中島敦は全部好きなのかな。
少し値段は高いけど、どうせなら筑摩文庫の全集を読んだほうがよいかも。
以前、仕事がなかった頃に、なけなしのお金をはたいて全集を
買った。しかも、まだ文庫になっていなくて、身を削られる思いだった。
(他の人の全集に比べれば巻数ははるかに少ないのだが、
それでも当時はつらかった。でも、中島敦には長生きしてもらって、
もっと多くの作品を書いて欲しかった。)
だけど、いい思い出になっていますね。
全集は今でも本棚の中央に鎮座しておられます。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
もう乗ることは
不可能かもしれませんが
この自転車は
かたちを
とどめておりました。
お母さん
うめくように
つぶやくように
そんな声が
聞こえてきました。
子どもは
また戦争の話を
思い出しました。
「天皇陛下万歳」と
叫んで死ぬ兵隊は少なく
「お母さん」と
絶叫し
あるいは
力なくつぶやいて
倒れていったそうです。
---------------------------------------
「天皇陛下万歳」と叫ぶ兵隊はいなかった、という証言は
などを参照。
しかし、「一銭五厘」というのは悲しい。
「浮世のあたい」は「三銭」と言った高杉晋作が命をかけてつくった
国の「天皇陛下の赤子」が「一銭五厘」とは、
何かの皮肉であろうか。
高杉晋作については、
世に棲む日日〈1〉 世に棲む日日〈2〉 世に棲む日日〈3〉 世に棲む日日〈4〉
が読みやすい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
見捨てられたものたちは
点々として
散らばっているので
ありました。
そのさまは
ミャンマーの
白骨街道のようで
ありました。
____________________________________________________________
ミャンマーの戦記は
など光人社NF文庫がよいと思う。インパール作戦については、
角川文庫の
がわかりやすい。
光人社NF文庫でもいくつか出ている。
靖国擁護論者と思われるのは心外なので、一言付け加えておきた
い。私は、国家権力者のエゴ、そして大国主義によって悲惨な戦争
が起こったと考える。庶民もそれに扇動されて、日本は大国と信じ、
愚かな戦争へ走ったと思われる。靖国参拝問題は、再び日本を
大国主義に向かわせようとしている国家権力者のエゴによるものと
思われる。常任理事国問題も同じことではないか。それに扇動され
る愚かな国民という図式も、昔とたいして変化していないのではない
か。(小国でもよいから平和な国のほうがよいと思うのだが。)
国家権力者たちによって殺された「一銭五厘」たちを、その国家権
力者たちとともに祭り、そして、また現代の国家権力者たちによっ
て、政治的に利用させる、こんな悲しいことがあってよいのだろうか。
中国や韓国の姿勢も擁護するつもりもない。他国のことはよくはわ
からないが、それもまた、国家権力者による国家エゴを感じないわけ
ではないから。
(六無斎にあやかっての偏屈者八百無斎記す。)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
水は
さらに
押し寄せて
きました。
自転車は
ただ
身を
ゆだねて
おりました。
----------------------------------------
ここからご覧になった方へ。
「荒川漂流1」からの
連続物となっております。
「荒川漂流1」から順に見ていただけると
いくらかわかりやすくなると思います。
左側にある『カテゴリー』の
「荒川漂流(REQUIEM FOR SOME)」
をクリックすると、「荒川漂流1」から
見ることができます。
順番は上から下となっております。
普通のブログと逆の方向になっています。
上から下に向かって進んでください。
写真はサムネイルと
なっておりますので
クリックしてご覧ください。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「死を想え」
最期に
かすかな
呟きを
残して
消えていくので
ありました。
----------------------------------------------
「死を想え」「死を忘れるな」は無論「メメント・モリ」の訳であり、
「メメント・モリ」と言えば、
スーザン・ソンタグの
「写真はすべてメメント・モリである」という言葉を思い出す。
写真論 を参照のこと。
それから、
「メメント・モリ」と言えば、
藤原新也さんの作品でもある。 メメント・モリ を参照。
そもそも、
この「荒川漂流」という題名そのものが
藤原新也さんの東京漂流 の影響を受けているのだろうが、
個人的には、なにも願わない手を合わせる を推奨したい。
印度放浪 については私ごときが言うまでもない。
題名の件については、またどこかで論じたいと思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
子どもは
再び
歩き始めました。
死を
想わせるものは
いたるところに
転がって
いました。
--------------------------------
「死を想うな」「無常を観ずるな」
という話が徒然草にある。
これはある大福長者が述べた言葉であるが、
たしかに「死」や「無常」を観じていては
金儲けなどできないだろう。
もっとも、兼好法師は批判的に
この話を取り上げているのだが。
新訂 徒然草 などを参照。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
見捨てられた
ものたちは
声を
あわせて
叫びました。
滅びる
滅びる
この国は
滅びるぞ。
-----------------------------------------
「滅びるね」と日本の将来を予言したのは
の広田先生。
漱石先生はやはり偉大だ。
勝ち組だなどと浮かれていると
本当に滅びそうである。
見捨てるものは最後には
自分たちも見捨てられる。
二極化した国家は
国として成り立つまい。
勝ち組の政治家たちが
いくら愛国心を持たせようとしても
共感は得られまい。
愛国心という名のもとに、
自分たちの権力、
体制を保持しようとしての
行動としかとられないだろう。
もっとも、これで国民が
コントロールされて
しまうなら戦前の二の舞で
本当にまた滅んでしまうかもしれない。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
水は
見捨てられたものたちの
心を
なだめるように
すべてを
包んで
いきました。
-----------------
すべて現実は受け入れるのがよかろう。
先日の「滅びる」という話も人々の良心を
信じたいと思う。
もっとも、去年の政局などを見ていると、
簡単に人々はのせられてしまう。
いや、マスコミもそうでしたね。
ただ、これは今に限らないし、太平洋戦争のときの
マスコミの反応を見ればわかることだ。
いや、そんな昔でなくてもよい。
バブルの時に、土地の値段を下げさせようと
世論に働きかけていたのも、マスコミではなかったか。
土地本位制資本主義の日本でどういうことが
起きるか、考えればすぐわかることであったろうに。
もっとも、たいがいの新聞社、テレビ局は、
報道機関としての使命よりも、
企業としての利益追求を優先させているようだから、
無駄かな。
支持率が80パーセントを超える首相の悪口を書くと
新聞が売れないと言っていたようだし。
だいたい、大新聞社、テレビ局に勤務している人は
勝ち組なわけで、一部の良心的な報道者を除けば、
底は知れているか。
これも受け入れるべき現実ということか。
最初の話に戻ると、
滅びても滅びなくても、
これまた現実は受け入れるべきなのだろうね。
滅びなければうれしいし、
滅びても、また復興させればよい。
人間、逆境のほうがまともになる。
何代にもわたって
順境にある人々(特に世襲政治家?)が
少しおかしくても当たり前。
これまた受け入れるべき現実。
無花果が液汁を出すのならそれを受け入れねばならない。
液汁を出さないことを願うべきではあるまい。
マルクス・アウレリウス「自省録」 などの
ストア派の書物を参照。
付け加えておくと、
勝ち組になってはいけない
などと言うつもりはない。
敗者への惻隠の情を忘れないで欲しい
ということなのだ。
勝ったら、敗者のことを無視、あるいはこれまでのことの
復讐をする、といった風潮がひどく世間を殺伐としたものに
しているのではないか。
もっとも、これも、エピクテトスやマルクス・アウレリウスなら
なんと言うだろうか。
彼らはそうせざるをえないように生まれている、あるいは
そうせざるをえないように成長してきてしまったのだ、
それをとやかく言う八百無斎、 お前は彼ら以上の、
いや彼ら以下の阿呆じゃ。
ただ、いずれにせよ、
我々は客人として
つかのま生きるだけなのだが。
でも、ハーシェルの言ったように、
少しはこの世をよくして、
去っていきたいしね。
内村鑑三の
を参照。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
半身を
水に
沈めながら
あるものたちは
あいかわらず
不満を
つぶやいて
おりました。
どうせ
俺たちは
見捨てられるのさ。
誰も
看取っても
くれはしねえよ。
----------------------------------------
ここからご覧になった方へ。
「荒川漂流1」からの
連続物となっております。
「荒川漂流1」から順に見ていただけると
いくらか
わかりやすくなると思います。
(左側にある
『カテゴリー』の
「荒川漂流(REQUIEM FOR SOME)」
をクリックすると、
「荒川漂流1」から
見ることができます。
上から下へと進行しております。)
写真については、
サムネイルと
なっておりますので
クリックして
ご覧ください。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
小鳥は
しばらく
休んで
また
飛んでいきました。
子どもは
考えました。
役にたたないように
思われるものも
何かの
役にたっているんだ。
無用に
思われるものにも
用がある。
----------------------------------
今さら言わなくてもよいことでしょうが、
「無用の用」については
老子 荘子 第1冊 内篇 (1) 荘子 第2冊 外篇 (2)
荘子 第3冊 外篇・雑篇 (3) 荘子 第4冊 雑篇 (4)
などを参照。
ついでに述べておくと、
住井すゑさんの
橋のない川〈1〉 橋のない川 (2) 橋のない川〈3〉 橋のない川 (4)
も読んでください。
老荘と関係なさそうですが、(特に後半の部分で)老荘のよさを
再認識できると思います。
これまたついでですが、
天皇制についても
一読する価値があると思います。
住井さんの考えは
皇族も天皇制の被害者ではないか、
ということだと思いますが、
この主張は
私にとっては
新鮮なものでした。
住井すゑさんと
まったく同じ考えというわけではありませんが、
この本から
多くのものを
受け取ったと
思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「荒川漂流」の本体はとりあえず完結ということにしたいと思います。
当初は「REQUIEM FOR SOME」 という名で
自費出版の写真集を作成する予定でした。
これまで頼んでいた業者さんとは違う会社に依頼しようとしたら
いろいろトラブルが生じてしまいました。
たいしたことではなかったのですが、
気持ちが変わり、ブログをつくってみることにしたのでした。
その間に、「見捨てられしものたちへの讃歌」という題名も
いいかななどとも考え始めました。
「格差社会」「勝ち組負け組」などという言葉がはびこる世の中に
なっていました。
見捨てられた人たちへの応援歌になればいいなあ
と考えたのです。自分も見捨てられたものとして、
自分を励ます意味もあったかもしれません。
でも、ブログの作成を始めてみると、
その題名ではわかりづらいかなという気もしてきました。
そこで、写真はすべて荒川流域で撮ったものだったので、
「荒川漂流」という単純な名前にしてみたのです。
最初の題名にも未練があり、それは副題としてみました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最初に写真をまとめている時、
まず「REQUIEM」という言葉が浮かびました。
その頃、あるいはその少し前に
「REQUIEM」が好きでよく聴いていたためでしょうか。
フォーレ:レクイエム とかブラームス:ドイツ・レクイエム 、
ペルト:タブラ・ラサ 中の「ベンジャミン・ブリテンの追悼歌」、
モーツァルト:フリーメーソンのための音楽集 中の葬送の音楽
等々などです。
リストラの嵐が猛威を振るい、世の中も自分自身も
悲観的でした。
あてもなく荒川沿いをよく歩いていました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
しかし、考えてみると、
昔から日本がそんなによい国だったとは
思えませんね。
途中でミャンマーの写真を入れましたが、
戦争の時代、その直後の時代、
今よりももっと殺伐としていたでしょうね。
また、そういったことは、
この国に限ったことではないでしょう。
過去も、現在も、そして未来も?
天の下に新しきものはないのかもしれない。
いつの時代でも、人間の過ちというのは
存在するのだと思う。
ただ、そうは言っても、
住井すゑさんがおっしゃっていたと思うが、
昔とくらべれば、はるかによくなっている。
完全ではないが、人権といったようなことが問題と
なるだけでもよくなっている。
昔は問題としてすら取り上げられなかった、
意識されるということすらなかったのでしょうから。
そういう意味では、
ハーシェルのような先人が
少しでもこの世をよくしようと
努力してくれたことの蓄積があるのだろう。
(再び、ですが、
後世への最大遺物・デンマルク国の話 を参照)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
気が滅入る時は、いつも荒川を歩いていました。
もともと、川が好きだったのでしょうね。
考えてみると、
少年時代よく読んでいたヘッセのシッダールタ は
川の物語と呼んでもよさそうですし、
さらに幼い時に読んでいた
ケネス・グレーアムの
たのしい川べ も、
もちろんそうですね。
さらに、 音楽でも、
エリック・アンダーソンのブルー・リヴァー(紙ジャケット仕様) や
ブルース・スプリングスティーンの
ザ・リバー(紙ジャケット仕様) が 好きと
きています。
川沿いを歩いているだけで、心が静まっていくのを感じるのでした。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
川が
水が
すべてを教えてくれました。
サイモンとガーファンクルの明日に架ける橋 の
「コンドルは飛んでいく」にあるように
誰だって打たれる釘であるよりは
打つ側のハンマーでありたい、
誰だって見捨てられる側であるより
切る側、強者の側でありたいと願う。
しかし、本当にそうなのか。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
これからも悩み続けるのでしょうが
迷ったら
川に出ればよい。
迷っている我々を
川は笑ってくれるだろう。
もうしばらく
旅は続くのでしょうが
川は
我々を大海へと導いてくれる。
(再び、ヘッセのシッダールタ を参照)
完
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006 南アフリカ他 | ’95春 中国 | 常懐悲感 | 思いつく事など | 荒川漂流(REQUIEM FOR SOME)
最近のコメント